石勝線夕張支線探訪シリーズ、沼の沢駅からご紹介してきましたが、いよいよ今日は終点夕張駅です。
石勝線夕張支線は道内のローカル線では珍しく貨車などを使った駅舎、所謂ダルマ駅がなく全てにきちんとした駅舎が存在していますが、そのどれもが昔懐かしい佇まいのもの。しかし夕張駅だけはこのようにロッジ風の新しい駅舎となっています。
夕張駅は1892年夕張線の開業と同時に開設された駅ですが、2度の移転を行っていて現在の駅舎は90年に開設された3代目のもの。当初は現在の石炭の歴史村近くに存在していましたが、炭坑の閉山に伴う急激な過疎化により、駅をもっと町の拠点へ移転させることとなり、1.3km営業距離を短縮した夕張市役所裏手に駅を開設しましたが、マウントレースイ前へさらに移転させることとなり、90年にさらに0.8km短縮して現在の位置へ移転、夕張駅は約100年かけて2km強移動してきたということになるわけです。
さて元々はヤードを広く持つ駅で、一時期間区もおかれた時代もあるようです。また初代駅は移転後もしばらく転用されたり、保存されたりして残っていたようです。
石炭の歴史村は私も何度か子供のころ行っていますが、言われてみれば駅のようなものがあったのを覚えているものの、今になって「あれが夕張駅だったのか!」という感じです。なにせ子供の頃は頭は遊園地でいっぱいでしたからね。そんなものに目もくれず、またその価値観に気付くわけもありませんでした。今になってみれば改めて見たいなとは思うものの、もう駅舎もホームも失われてしまっているので見ることが出来ないんですよね。
そして2代目の駅舎は夕張支線唯一のダルマ駅でした。とはいえこのダルマ駅、ちょっと他とは違っていて、緩急車とワムの3両を使ったものだったものの、車輪をつけたままの状態で線路上におかれているものでした。ダルマ駅は数あれど、牽引すればすぐにでも動きだせるような状態の駅舎というのは他にあまり聞いたことがありません。 ただこの駅舎は一時的のようなもので、85年に夕張市役所裏手に開設された2代目夕張駅ですが、90年には現在地に移転していますので、5年間だけにとどまっています。
81年に石勝線が開業して夕張線は石勝線の支線となりましたが、85年に夕張市役所裏へ夕張駅が移転、90年にはさらに再移転と81年から90年にかけて夕張駅は激動の時代だったと言えるでしょうね。 今ではすっかり何もなくなってしまった初代夕張駅ですが、石勝線の駅だった時代が数年存在するわけです。
さて短いスパンで移転を繰り返し現在地に落ち着いた夕張駅ですが、全体的に言えば縦に長い駅だなという印象を受けます。道路と線路の間に作られたものですからしかたないのでしょう。ただその構造はちょっと変わっていて、駅舎の入口から入ると普通は直進するとホームですが、90度回れ右をして進むとホーム・・・ではないんです。長い通路が続いていてその先でクランク状に曲がりやっとホームとなる変わった構造なのです。
駅舎前から撮った通路部分ですが、この幅の通路が駅舎から写真奥の突き当りにあるクランク部分を経て繋がっています。なので夕張駅は細長い駅という印象を受けるわけですね。 天井には幸せの黄色いハンカチをモチーフにした装飾が施されています。でも黄色いハンカチのロケ地は鹿ノ谷の方が近いんですけどね。
元々は駅ではなかった場所に移転して来たわけですから、かつてここは列車が普通に走り去るだけの場所だったわけですね。
マウントレースイ側から見た駅です。通路がクランク状になっているのが分かりますね。 でも元々線路が2本あったわけではありませんから、ホームがある位置からまっすぐ通路をつけることはできなかったのでしょうかね。なぜホーム1つ分の幅で道路側にずらして通路を開設しなかったのかと不思議に思いますし、そもそも列車の発着するホーム横に駅舎を構えられなかったものなのかとも思うんですよね。まあ用地の問題などがあったのでしょう。
夕張駅は観光案内センターも兼ねているので廃線後取り壊しということはなさそうですが、そうなると他の駅が解体の運命をたどることになった場合唯一残る夕張支線の名残ということになってしまうのでしょうかね。
さて沼の沢から追って来た夕張支線各駅を訪ねるシリーズ、これで一応完結ですが、他に若干こぼれ話がありますので次回はそのこぼれ話をご紹介するつもりです。 |
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