レカ郎写真記


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...... 2019年08月20日 の日記 ......
■ 石狩月形駅 その1   [ NO. 2019082001-1 ]
来年春に廃線となる札沼線の北海道医療大学ー新十津川間、その間にある石狩月形駅に先日行ってみました。
今日はその模様をご紹介です。

札沼線廃線の話題はずっと付きまとっていましたが、廃線となるならば浦臼、もしくは石狩月形ー新十津川ではないかと思っていたので、非電化区間全線が廃線になると聞いて最初はちょっと驚いてしまいました。
江差線木古内ー江差、留萌線留萌ー増毛、石勝線新夕張ー夕張に続いてまた北海道から鉄路が新たに消えてしまうわけですが、所謂盲腸線がまず狙われているようですので、そうなると留萌本線全線、根室線釧路ー根室、宗谷線、宗谷北線が危機にさらされているのではないかなという気がします。

さてその石狩月形駅ですが、ちょっと久々に行きました。



駅外観です。札沼線非電化区間では唯一駅員がいる駅、そして交換が可能な駅ということで札沼線非電化区間ではかなり重要な役割を果たしている駅です。




駅のホーム側出入口には今もプレート式の改札案内表示があります。現在はここに1日1度だけ新十津川行きという札がかけられるわけですが、大きな駅ではLED表示機だけでなく、液晶パネルまで設置されている中、こういう昭和どころか鉄道における行き先表示の原型を今も残す駅もあるというギャップにはいつも驚かされます。




ホーム側に出てみました。
正面側は後からつけ直したと思われる駅名表示がありましたが、こちらには所謂国鉄フォントというのでしょうか、昭和の時代そのものの駅名表示が見られます。開業当初、もしくは駅舎が建てられた当初からのものなのでしょうかね。こういうものの方が味があっていいな~と思ってしまいます。

出入口にはこのような痕跡が。






地面にはボルトが出ていたと思われる痕跡がありましたが、これは元々ここにラッチがあったということでしょいうかね。それにしてもこの幅ではかなりラッチ内は狭かったのでは?とも思えますし。
現在は切符の販売を行っているものの、改札、収札業務は行っていませんが、かつては行っていたようですのでラッチがあっても不思議ではありませんね。




ホームから新十津川方向を見たものです。ホームもかなり狭いです。
現在は長くても2両編成ですが、ホームの長さからかつてはもっと長い編成が走っていて賑わっていたことをうかがわせます。




ホーム端部から新十津川方向を見たものです。
ここから先は1列車しか入ることができません。石狩月形ー新十津川間はここで1つの閉塞区間となっているわけです。
そして北海道では唯一となり、全国でも数少ないスタフ閉塞を行っているというのがこの区間。この駅に駅員が配置されているのは運転業務のためであり、このスタフ閉塞内に出入りする列車にスタフを渡したり、回収するという業務を行っているわけです。
札沼線の非電化区間が廃線になると、それと同時に道内からスタフ閉塞というものが消滅することにもなるわけです。
月形駅には数回訪れたことがあるものの、今回はそのスタフ閉塞が見たくて月形を選んだというわけです。




ホームにはレトロな案内表示が。これはいつからここにあるのでしょう。片方が石狩沼田ではないので新十津川ー石狩沼田までが部分廃止になって以降のものだとは思いますがなかなか渋いアイテムの1つです。

また先ほどから何度も出ていますが、ここの駅は今どき珍しくなりつつある木の電柱が現役なんですね。この電柱はもしかすると開業当初から札沼線とともに時を過ごし札沼線を見守って来た電柱なのかもしれませんが、それらの廃線と共に失われてしまうことになるのでしょうね。
枕木もここでは木製ですが、それらに腐食剤として塗られているコールタールの臭いが夏の暑さに混じって漂っている昔懐かしい光景と臭いがそこにはありました。

今回の最後はこちら




月形駅から新十津川方向に少し進んだ地点にある踏切から撮った新十津川方向の様子です。この先田園地帯にしばしの別れを告げ札沼線内では珍しい森林地帯へと入っていくことになりますが、廃線後数年でこの先は自然に返って行きそうな感じがします。
月形の次が札沼線の秘境駅として名高い豊ヶ丘駅となりますが、ずっと前に1度行ったことはあるものの、ここにも廃線前に1度行っておきたいなと思っているんですがね。
これらの光景も来年の今頃には失われた光景になっていることでしょう。

次回に続く

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