 昨年石勝線から2つ駅が消えました。東追分と十三里です。この2つには何度か行ったことがあるだけに特に感慨深いものがあったりしました。
さて今日の写真ですが、いつか忘れてしまったものの、新夕張駅の駅名看板を撮ったものです。この看板を改めてみると廃止された駅ばかりになってきていますね。 十三里は昨年、そして「かえで」の駅名がありますが、楓駅も04年に廃止されています。ということはこの写真は04年以前のものということになりますが、さらに夕張支線の沼の沢駅も19年に新夕張ー夕張が廃止されることで廃止となる駅。ということで19年にはこの写真にある駅は新夕張以外すべて消えるということになるわけですね。
夕張と言えば石炭と鉄道で栄えたまちですが、石炭が消え、人が消え、そして多くの人が夕張から出る際乗ったであろう鉄道までもが消えてしまう、鉄道が廃止になる前から自治体が潰れるほど寂れている夕張にとって、鉄路の廃止はとどめを刺すようなものになるのではないでしょうか。今ですら札幌からだとクルマを使わないと札幌からそれほど遠くないにも関わらずアクセスしにくいわけですが、さらに利便性が下がれば基本クルマがなければ出入りできない陸の孤島のような状態になってしまうんではないかと思ってしまうんですよね。
さて十三里に関して自分でも謎だなと思っているのが1つ。この写真を撮った時、確か新夕張から十三里まで歩いたことがあるんです。途中の渓谷などの風景を覚えていますし、随分長いことあるいたという記憶はあるんですが、なんでそんなことをしたのかが今となってはよく分からず。ただ新夕張ー十三里は5kmもないんですよね。 その後どうしたのかが全く分からないんですが、たぶん列車で移動したはずです。なので東追分には行ったことはありますが、クルマでしか行ったことがないものの、十三里に関してはクルマでも行きましたし、ここから降りたことはないものの、乗ったことはあるということになるはずです。その日の乗客は私だけだったのかもしれませんね。
そもそもなんで新夕張まで行ったのかがよくわからないんです。いや〜記憶って覚えてるようで忘れてしまうものですね |
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