今日青函トンネルが開業30年を迎えました。この間何度か青函トンネルを通っていますが、札幌に住んでいるとちょっと縁遠いせいか、通る度異空間というか、特別な場所というのを感じてしまいます。特にそれまでのトンネルではあまりなかった窓の結露が青函に入った途端窓にブワァァっと広がって車窓が見えなくなるのが青函トンネルに入ったんだなというのを実感できる瞬間ではないかと思うんですが、この青函トンネル、今日で30年ですか、地質調査から開業までの方が長いんですよね。地質調査なんて戦後まもなくにおこなっているわけですから、まだ開業してからの方が短いわけです。
これまで快速海峡、特急はつかりで青函を抜けていますが、やっぱり印象深いと言えば海峡かなと。北海道新幹線もはやぶさではなく海峡の方がもっと北海道らしさが出たのでは?なんて思うんですが、特に国鉄型特有でデッキの妻面にある窓から直接窓を通さないで青函の中を見て風を感じたというのがなんとも印象的でした。今では絶対無理ですからね。 またところどころ激しい走行音のする区間があるというのも青函らしい点かなと。車両が50系だからだろうかと思っていたら、485でもけたたましい音がしていたので、そういうもんなんだな〜なんて思ったものですが、あの音の正体は一体なんなのかが気になります。他の鉄路ではちょっと聞いたことのない音なんですよね。 新幹線になってもやっぱり激しい騒音ってするんでしょうか。
特急が白鳥、スーパー白鳥になってから乗ってはいますが、青函は乗ってないため、最後に青函を通ってからだいぶ経つな〜と。まあ用がなければ乗らないですからね。
開業30年を前にして新幹線に奪われた青函トンネル、今後在来線車両で抜けることはまずないだろうと思いますし、たぶん新幹線に乗ることもないだろうと思うので、もう青函を通ることがないんじゃないかと思うんですが、個人的な感想として新幹線化で青函の価値が下がったような気がしてしまうんですよね。
また新幹線が邪魔ものにする貨物列車ですが、今まで青函を支えてきたのは貨物だったりするんですよね。旅客列車より圧倒的に本数が多いわけですから。 この青函区間を含めた江差線などがダウンした時、物流が滞って大変だったということが過去何度もあります。そうしたことを考えるとあまり貨物を邪慳に出来ないのでは?と思うんですよね。一部では巨額のトンネル維持費をJR貨物にも負担させよという意見もありますが、そうすると流通コストがあがって結局は我々の出費が増えることにもなるわけですから、安易な考えはよくないのでは?と。
貨物用に第二青函トンネルを・・・という意見もありますが、今ある青函でもえらく維持費がかかっている中、第二青函の維持費は誰が出すのか?という問題にもなって来るんですよね。新幹線にすっかりブチ回されている青函連絡、今後どうなって行くでしょうか。
さて今日の写真ですが、あれこれ考えた末青函トンネルと言えば50系か485系だろうなと思い国鉄色の485系白鳥を選んでみました。 かつて1500番台は道内で走っていたことは一時期ありましたが、本州型の車両がこうして北海道にもやって来るようになったというのがなにより青函トンネルの存在を感じさせてくれます。
はつかりじゃないのが残念ですが、あまり国鉄色485の撮影経験がない私としては貴重な1枚となりました。 この車両が30年前歓迎ムードの中1番列車として青函を通って本州からやって来たんですよね。あれから30年、日本全国で青函トンネルを通ったことがある人というのは全体でどのくらいの割合なのか?というのが気になるんですが、まあ・・・多くはないでしょうね。未だに函館ー東京ですら飛行機利用の割合が圧倒的に高いらしいですし。 |
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