レカ郎写真記


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...... 2018年10月23日 の日記 ......
■ 石勝線夕張支線 鹿ノ谷駅   [ NO. 2018102301-1 ]
石勝線夕張支線探訪シリーズ、今日は鹿の谷駅です。




鹿の谷駅は1901年一般駅として開業した駅で1908年には若菜辺専用鉄道、後の夕張鉄道が鹿ノ谷ー若菜辺で開業、1926年には夕張鉄道が夕張本町ー栗山で開業し併用駅となっています。

駅舎は先日ご紹介した清水沢に似た感じですが、清水沢駅を少し小さくした感じでしょうか。トタン屋根に煙突が付き出ている姿が北海道らしいです。


駅舎内です



この液が一番中が殺風景で寒々しい感じでした。窓が少なく、ドアにすら窓がないせいか中が薄暗く昭和の時代から忘れ去られたような感じすらしましたが、地元の方が清掃してくれているおかげできれいな状態です。夕張支線の各駅はどこも地元の人が一生懸命管理しているようで、ベンチに座布団が敷いてあったり、清掃されていたりしましたし、山間の夕張にありながら駅舎の出入口などでクモの巣アタックを食らうこともありませんでした。こういう場所は出入りするとクモの巣アタックを食らうことが多いんですが、夕張支線ではそうしたことがなかったので、地元の方が一生懸命駅を守ってるんだろうなと感じることができました。


駅舎を出ると目に飛び込んでくるのがこれです



なが〜い跨線橋が反対側の山肌までを貫いています。これは駅から上がることはできず、駅の外に出なければならないんですが、ここも清水沢同様、そして冒頭でも述べましたが、かつて夕鉄があった証拠。夕鉄は鹿ノ谷に車庫まで構えていましたので、かなり広い構内を持っていたのが鹿ノ谷でした。




跨線橋から見たホーム側です。駅の出入口にはラッチ的なものがありましたが、ただ柵を回しているだけのようです。このような造りの駅は同じ時代に作られた駅舎によく見られますね。




広い構内跡を渡る跨線橋です。
階段を上がった後このようななが〜い跨線橋が続いています。構内跡を清水沢のように貫く平面の通路があってもいいように思ったんですが、反対側が小高くなっているので跨線橋じゃないと無理でした。ただ夕張支線がなくなった後はどうなるかですね。このまま残るのか、それとも斜面に階段を作って跨線橋を廃止するか、あるいはこの場所を渡ること自体できなくなるかという感じでしょうか。




その跨線橋から見下ろすとこんな状況です。
実はちょうどこの眼下の辺りに島式ホームがあるんですが、草木に覆われていて分からなくなっています。春先の雪解け直後に行くともう少し見えそうな感じですが、こんなになるほどかつての活気が失われて時間が経っているということでもあるのでしょうね。国鉄、夕鉄の旅客列車の他、石炭貨車がひっきりなしに行き交っていたであろう姿は想像することも難しい感じです。
沼の沢、清水沢もそうですが、こうした姿を見るとなにか全てが終わってしまったかのような感じなんですよね。鹿ノ谷はかつて北炭の幹部用住宅が立ち並ぶ高級住宅地だったんですが、今はそんな面影は全くなくなってしまっています。
そして来年の春を待たずに最後に1本残った鉄路もなくなってしまうわけです。鉄道と石炭で栄えた町から石炭だけでなく鉄道までなくなろうとしています。

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