もうすぐ建て替えにより役目を終える苗穂駅をご紹介するシリーズ、今回で最終回となります。
前回は駅舎から続く跨線橋などをご紹介しましたが、今回はホーム編です。
ではまずこちらから
こちらは札幌方面ホームの3、4番線となります。駅舎を右手に見る札幌駅へ背を向けたアングルとなります。
苗穂、白石はどっちのホームから乗っても札幌へ行けるので本数も多く便利でいいですね。
さて、このホーム、柱が1本で屋根を支える構造になってますね。ではそれを踏まえてこちらを
こちらは江別、千歳方向の5、6番ホームとなります。 先ほどの3、4番線とは様子が違って、屋根を2本の柱で支える構造となっていますね。やけに古めかしい感じがするのもこちらのホームです。
こちらのホームの特徴としえばその1つがこれでしょうか
ホームに立つと目の前に苗穂運転所、その奥には苗穂工場が広がる光景です。車両の入れ替えや入出区がホームにいながらにして見放題でした。また苗穂工場からの出場があればホームから撮影し放題でもありましたね。それが300mほど移転することで今まで長いこと見ることが出来、当たり前だったこのアングルももう見られなくなってしまうわけです。
もう1つはこちら
苗穂工場への社員用通路があるのもこちらのホームでした。 この跨線橋、木製なんですよね。もしかすると苗穂駅は改築などを行っていますが、この跨線橋は苗穂駅ができて以来80年以上にわたってそのままの姿なのでしょうか。だとすればちょっとした歴史的建造物ですね。しかも現役なわけですから。 以前は苗穂工場公開の際この通路を来場者に開放しており、工場側にも入場用の改札機、近年ではICカードの読み取り機が設置されていたりして「ええ!?」となったりしましたが、ICカード導入以来その通路が解放されることがなくなり、工場公開の来場者は延々一般道を使って周りこんでの入場になっていました。 まあ私が地下鉄利用に変わったのもそのせいなんですけどね。苗穂駅から工場正面入り口まで延々ぐるりを歩く時間と距離を考えたら地下鉄駅から歩くのとさほど変わらず、しかも地下鉄だと工場公開の日は週末なのでドニチカ切符が使えて安上がりというのもあって地下鉄利用になっていました。
そんな通用口ですが苗穂駅移転後この通路はどうなってしまうのでしょう。 この通用口の下をSLから最新の733系まで通って来たわけですよね。国鉄を走ったほとんどの車両を見てきたわけです。
さて前回ホームの階段に関しての違いをチラリと述べましたし、今回もホームの構造が違う点をご紹介しましたが、苗穂駅は94年にホームの移設を行っています。そのため3、4番線と5、6番線とでホームの様子が違っているわけですが、その痕跡を見ることができます。
一見何の変哲もない跨線橋の写真ですが、真ん中の1か所だけちょっと変わった構造になってますね。 ではちょっと引いてみましょう
こうなっています。 この部分に3、4番線へ通じる跨線橋がありホームがありました。柱の構造とその下になんとなくホームがあったような痕跡が伺えますね。 つまり、現在の3、4番線は5、6番線に対してかなり新しい時代に作られたものということになるわけです。 そのため構造や構成している材料なども違っているわけです。 言うならば、5、6番線は古い時代の階段ですが、3、4番線は平成の初めころに札幌圏に誕生した駅に見られるような構造というわけです。 これは留置線を作る関係によるホーム移設なわけですが、それでも平成に入ってからの出来事だったわけです。
跨線橋内にもその痕跡が見られます。 この部分だけ窓がありませんが、その理由が元々ここには階段があったためでそれを塞いだからなんです。
私は苗穂のような古い跨線橋を見ると外からも中からもこうした過去の痕跡がないか見ちゃうんですよね。それによって過去は跨線橋の反対側にも今は亡きホームがあったんだとか、ホームの付き方が違ったんだとか、今は亡き路線へのホームがこの先に続いていたんだということをうかがい知れるわけです。 最近行った中で印象的だったのは留萌駅でしょうかね。留萌駅の跨線橋には羽幌線へのホームへと続いていた痕跡が見られました。
そうしたところから駅の歩みを解くことも知ることもできるので面白いんですが、近年そうした古い駅舎や跨線橋がどんどん失われているのでそうしたことをうかがい知ることも出来なくなってきたのは残念です。
では最後にこちら
新苗穂駅舎です。 開業1ヶ月を切った段階なんですが、まだこの状態で大丈夫か?なんて思ってしまったんですが、なんだかこれじゃない感が・・・。 稚内駅などに似ているような気がしますが、このような状態の駅を見ることができるのも今だけですね。使用開始となればこうした光景はなかなか見られるものではありません。
にしても80年以上に渡って色んな時代を見てきた駅舎と引き換えにするにはあまりもあまりかな・・と正直思ってしまいました。
苗穂は以前だと苗穂工場を苫小牧方面へ移転させて大規模に開発して地域活性化につなげようじゃないかという話もありましたが、それはなんとかまのがれているようですね。色々な面で折り合いがつかないのでしょう。ただ研修センターは手稲へ行ってしまいました。
今週末いよいよ新苗穂駅へとバトンタッチされるわけですが、80年以上に渡って地域の、札幌の移ろいを見てきた生き証人がまた1つ失われ、葬られてゆくのでしょうね。 日本はいつそのものが歩んできた歴史というものに価値を見出し残してつなげていこうという方向になるのでしょう。気づいた頃にはもう何も残っていないということになっていなければよいのですがね。 この辺り日本がヨーロッパに残る古都のようになれない薄っぺらな町並みしかない理由なのでしょう。 |
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