先月下旬旧士幌線沿線へ行く機会があり、ついでにいくつかポイントを見てみました。その中から今日は幌加駅のご紹介です。
幌加駅は糠平ー十勝三股間にあった駅。幌加駅があった区間は士幌線が87年3月に廃線になる前の78年のクリスマスの日、糠平ー十勝三股が休止という名の先行廃線となった区間でもあります。
士幌線自体が廃線になる10年近く前に糠平ー十勝三股が先に部分廃線になっているわけですが、休止前は14人の住民しかいないという状況ならばうなずけてしまいます。 確かに三国峠や大雪山系のおひざ元というような山奥にそもそもなぜ線路を敷いたのか?とすら思ってしまいます。まあ当時は今の高速道路や高規格道路があちこちにどんどん無計画のごとく作られているように、国鉄もまた国策として色んな利権がからみあっていたというのもあり、とりあえず線路を敷け敷けという感じで需要など考えずに敷いて行ったという経緯があるのでしょうね。
さてその幌加駅ですが、現在もホームなどが残されており当時の面影を垣間見ることができます。
周囲はまったく人工物がなく、あると言えば国道が通っているのと除雪センターがある程度。民家などは一切ありません。 この地区は最盛期でも350人程度しか住んでいなかったようです。なのでそもそもこんな場所に線路を敷いたのに無理があったと言えるのかもしれませんね。今なら絶対あり得ない話です。
ホームです。 駅舎などは廃線の際解体されてしまいましたが、ホームは今も健在です。 今なら板張りで1、2両程度のホームがあるだけといった感じではないかと思いますが、こうした過疎地でもしっかりとしたホームが作られている辺りはさすが国鉄です。
駅名看板もありますが、こちらは保存団体が作ったレプリカです。文字を見れば国鉄のフォントではないので分かりますね。 ホームの反対側、駅舎があった側にもホームのようなものが残っています。
駅舎は道路に面してではなく、一旦線路を渡って回り込んだところにあったようです。ちょっと不便な感じがしますね。
ホームだけではなくポイントもそのまま残されています。 今は廃線になった場合線路の撤去は迅速に行われてしまいますが、休止から40年以上、完全廃線からも30年以上が経過しているにも関わらず、オブジェ的な感じで保存されているものだとは思いますが、こうして切り替えレバーを含めてポイントまで残されているのはちょっと珍しいのではないでしょうか。
十勝三股方向を見たものです。列車が来なくなって40年以上になりますが、今も線路があったというのがはっきり分かる状態になっています。線路が出ていれば今にも向こうから列車が来そうな感じがするかもしれませんね。
休止後は代替バスが走っていたようですが、マイクロバスやジャンボタクシーといった小規模のものだったようです。国鉄時代は運賃が鉄道と同様の扱いになっていたようですが、それでも乗客が極端に少なく、03年にその代替バスですら廃止となってしまい、現在この幌加地区や十勝三股地区には帯広ー旭川の予約制都市間バスノースライナーみくにが1日1往復あるのみでほぼ公共交通機関がない場所となってしまっています。
またこのノースライナーも天候次第では運休となるほか、未だに携帯が通じない場所なので運休になってもバス会社からの連絡ができない場合もあるようです。
改めてそんな場所になぜ線路を?と思ってしまうんですよね。しかも幌加駅前にはバス停がなく、3km近く先にある幌加温泉入口が最寄りのバス停になるようですから、この幌加地区は代替バスの廃止と同時に葬られた地区と言ってもいいのかもしれません。
現在道内では赤字ローカル線の廃止が勢力的に行われており、どんどん地図から鉄路が消えて行っていますが、廃止にすれば代替バスに補助金を出し、地域活性への貢献もするとは言っていますが、こうした先輩の廃線区間を見ると、その玉虫色の言葉をうのみにして鉄路を手放した結果、地域が衰退し利用客が減ることで代替バスが減便になり、さらに人が減ってバスも減りを繰り返しているうちに、最後はこの糠平ー十勝三股のように、JRからの補助金が切れた頃代替バスすら廃止になってしまって地域がなくなってゆくという結果もあり得るということを教えてくれているような気がします。 |
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