レカ郎写真記


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...... 2019年03月31日 の日記 ......
■ さよなら 夕張支線   [ NO. 2019033101-1 ]
今日で石勝線夕張支線、旧夕張線が廃線になります。明日からはついに夕張は鉄道のないまちの仲間入りとなってしまうわけですが、かつて石炭で栄えた北海道の鉄道ですが、かつて石炭輸送を支えた路線で現役という路線は今どれぐらい残っているでしょう。石炭関連で言えば釧路の太平洋石炭販売輸送も今日で事実上廃止でしたね。そちらは1度も撮ることなく終わってしまいました。

さてその夕張線、昨日ご紹介したように先週廃止を前に再度訪問してみました。その中からいくつかご紹介です。

まずはこちら



今回も昨年秋同様清水沢から始めました。前回と違うのはダイヤ改正で時刻と列車が定期列車から全便臨時列車に変わっている点です。なので前回と同じ行程で周るのは今回出来なくなっていました。

あいにくの雪だったんですが、これも雪深い夕張らしいシーンともいえなくはないですね。



ホーム側からです。駅舎内などは昨年秋にじっくり撮っているので今回はパス。というか前回と同じ時間に清水沢に入っているんですが、駅舎の中は前回だと無人だったのに対して今回は随分人がいました。

このかつてを物語る広い構内を横切る通路、そして腕木式信号の忘れ形見である滑車など古き良き時代の名残だらけという駅舎も近いうちに解体されて姿を消してしまうのでしょうね。

鉄路が1つまた1つとなくなり、そしてホームから跨線橋と屋根がなくなり、ついには1本だけ残っていた線路までなくなりすべてを失う時が来てしまいました。

続いては南清水沢まで移動しました。



列車に1駅乗るというのは前回と同じです。ほんとはバスがあればそれで先回りしてどこかで1枚撮りたかったんですが、都合のいい時間にバスがなかったので列車になりました。
南清水沢は昨年秋にうっかり駅舎内を撮り忘れたため、年末に夕張を通った際立ち寄って駅舎内だけ改めて撮っているのでその時以来の訪問です。
駅前には選挙ポスターが貼り出されていますが、元夕張市長が・・・。
唯一女性の駅長さんがいるという駅でしたが、それも今日までです。
ここに来たのはなにか記念になる乗車券はないだろうかと思って行ってみたんですが、駅長さんが不在で最後まで戻ってこなかったため買うことができませんでした。一体どんな乗車券があったのでしょう。入場券や硬券の類はないと書いてあったんですけどね。
留萌線の留萌ー増毛間廃止の際は記念の硬券が発売になりましたが、夕張線に関しては今回一切ありませんでしたね。いい稼ぎ時だったような気がするのですが・・・。



一応こういうものも撮っておきました。
臨時列車になっているものの、一応ダイヤ改正後もきちんと新しいダイヤに交換されています。半月程度しか使わないものなんですけどね。
運賃で見ると新夕張と夕張両方とも同じ値段なので、運賃的には南清水沢が夕張線の中心という感じでしょうか。

この南清水沢駅もバスターミナルが整備されるとのことですから、取り壊されてバスターミナルに生まれ変わってしまうのでしょうね。



ホームには黄色いハンカチをイメージした「ありがとう夕張支線」ののぼりが出ています。が、風が強い日だったのでちょうどよく字が写るようになるまでひたすら待ちました・・・。

さて南清水沢からは列車で一気に夕張へ向かいました。
これもちょうど都合のいい時間にバスがなかったためで、最後だからわざわざ乗ったわけではないものの、いい記念になりました。



ひょっとすると列車で夕張へ入ったのは初めてかもしれません。昨年はバスか歩きでしたからね。
相変わらずクランク状に曲った変わった駅です。

ここにも先ほどの幟がたくさん出ていましたが、あえて夕張駅にしかなかった夕張の鉄路ありがとうの看板を入れてみました。

いつも思うことですが、今まで列車が当たり前に来ていた場所に、明日からは朝はいつも通り来ても列車がぴったり来なくなるわけです。今まで当たり前に走っていた列車がその土地にはやって来ない存在になり、その土地から鉄道との縁が切れて遠い存在になってしまうわけです。どうもこれが信じがたいことだなと思うのですが、これが廃線の現実なのでしょうね。

それにしても昨年の同じ時期、随分夕張線は列車が運休していましたが、この冬はほとんど運休などがなく走り続けていたなという感じがします。雪のため・・・とか土砂流出の恐れ・・・とかで長期間運休していたように思いますが、今年はそうしたことがほとんどなかったんですよね。なんででしょうねぇ・・・。




最後に16日からついているサボです。夕張線なのに日高というのがまたいいですね。この車両もまた本来の職場である日高線という場所を失ったがためにこうして夕張など苫小牧運転所管轄の路線へ来るようになったわけです。
まだ日高線の方は検討中ですが、おそらくこのままさよなら列車が走ることなく廃線になるはずなので、この車両が様似まで行くことは限りなくゼロに近い確率でないでしょう。
でもこのキハ40−351、見ると昨年検査を受けているようなんですね。そのタイミングでよく日高線カラーから一般カラーに戻らなかったなと。
日高線用のカラーで夕張線や他の線区を走っている姿にはどうも違和感を覚えるんですが、廃線となる夕張線に本来来るはずのない日高線カラーのヨンマルがいる、いろいろと考えてしまいます。

ちょっと気になったのが夕張支線廃止という表現がどこにもなかったこと。あくまでも営業終了とか営業最終日という表現なんですね。イコールで廃止ではありますが、ハッキリ廃止と言わずなんとなく濁しているような表現を用いているのはなぜか?とちょっと思ってしまいました。

これで江差線木古内ー江差、留萌線留萌ー増毛、そして石勝線夕張支線とここ10年で3つめの路線廃止が完了しました。さらにこの後来年には札沼線北海道医療大学ー新十津川の廃線が待っています。また現在不通となっている日高線鵡川ー様似、根室線東鹿越ー新得もおそらくこのまま廃止になってしまう可能性が非常に高い状態にあります。
廃止してしまうのは簡単ですが、一度失ったものをまた再び元に戻すというのは大変なことです。将来的に鉄道があれば・・・ということがあったとしてももう遅いわけです。
今は採算性だけで議論されていますが、もう少し広い視野で総合的な判断をしてもらいたいものだなと感じますし、すぐにバス転換と言いますが、バスを取り巻く事情も今大変厳しい状況です。乗客が少ないだけでなく、ドライバーのなり手不足や働き方改革でバス会社は二重三重に苦しめられている状況にあり、既存路線すら維持がだんだん難しいような状況になって来ています。札幌市内ですら路線の廃止や循環化などでしのぐようになって来ている中、鉄道の代替路線にどれだけ人材を割けるかという話にもなってくるわけで、簡単にバス転換とはだんだん行かなくなって来ています。
誰が運行して誰がその運行を維持管理するのかという話になるわけで、鉄道の維持が難しいからバスに丸投げとはいかなくなって来ているわけです。また国鉄代替路線でもすでにいくつかの路線で廃止されているものがあります。
こうした現状を踏まえてもっと議論されるべきですし、現在統一地方選期間中ですが、こうした実情を地元の議員や首長はもっと他の前例のある地域に出向いて勉強して知る必要があるのではないでしょうか。
そうすれば簡単に公共交通を手放すということは出来ないように思うんですけどね。特に高齢化社会の中、公共交通を失ってしまった地域では運転したくなくても運転しなければ生活できないという事態になってしまい、その結果大惨事になってしまうこともあるわけです。

鉄道を失う、それは地域が今後発展するチャンスから切り離されてしまうことでもあるということを忘れてはならないのではないでしょうか。
いくら北海道で観光列車が走っても鉄道がなければその恩恵を一切受けられないわけですからね。

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