レカ郎写真記


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...... 2019年09月09日 の日記 ......
■ 宗谷線急行の生き残り   [ NO. 2019090901-1 ]


先日苗穂工場の公開が行われました。昨年は直前に発生した胆振東部地震で中止になり非常に残念な思いをしましたが、今年久々に私もちょこっとだけ行ってみました。

この工場公開、長く続いているイベントの1つにC62 3号機の牽引運転というのがあります。C62 3号機を間に客車などを挟んで工場の入れ替え用DLで牽引して往復するというもの。特にC62が煙を吐いて走るというわけではなく、DLだけががんばるイベントなわけですが、C62が走行するシーンが撮れる貴重な場面でもあります。
さて今日はそのC62・・・ではなく注目すべきは今年の客車として使われていたキハ40です。
DLとSLに挟まれているこのキハ40、何気なく見てみるとなんとキハ40 336ではありませんか。330番台といえば元宗谷線急行のキハ400をキハ40へ戻した時の区番台。まだ生き残りがいたんだと思ったんですが、足周りを見ると最近検査を受けた模様。なのであらゆる部分がビカビカです。現在は工場と苗穂運転所との入れ替え業務などで使われていることがほとんどで本線をあまり走ることはありません。おそらく臨時便はあっても定期便で入ることはほとんどないものと思われます。
キハ40 330番台化された際ロングシート化され、ワンマン装置がついていないというのが災いして札沼線の電化後は通常のキハ40同様の使い方ができず宙に浮いてしまった存在なのだろうと思うのですが、それでもちゃんと車籍が今もあり、検査も受けているわけですね。

仲間はミャンマーへ渡ったり、廃車になってしまったりする中、細々と生き残っているキハ40 336です。

それにしても宗谷線急行用にと急行車両へ改造され優等列車として使われるという大抜擢を受けたものの、宗谷線の特急化によりその役目をキハ261系に奪われ、改造されてキハ40に戻った後新天地札沼線へと活躍の場を移したもののそれも札沼線電化で活躍の場を追われ、ワンマン化もされていないので転用が利かないという次々活躍の場を奪われ続け結局苗穂工場と運転所の入れ替えという本来のキハ40らしからぬ、機関車が本来やるべき役目を細々と行うしかなくなってしまったというちょっとかわいそうな車両と言えるかもしれません。

異国の地ミャンマーに渡って旅客車両らしい使われ方をされている方がよかったのか、苗穂で細々と生き残っている方がいいのか、それはなんとも言えませんけどね。

ちなみにこのC62の牽引運転、これまで様々な車両が客車で使われており、私も何度か乗ったこともありますが、今は亡き急行はまなす用の14系だったこともありましたがそれも今では懐かしい話になってきました。

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