
先日函館本線山線のキハ40を話題にしましたが、来年のダイヤ改正でいよいよ本格的に始まるキハ40の置き換え、これにより道内のローカル線を長きにわたり支えてきたキハ40が減ってゆくことになります。 でもよく考えると、現在空前の廃線ラッシュとなっている北海道の鉄道路線ですが、国鉄からJRへ移管されたその前後にも廃線ラッシュがあり、これにより多くの地域から鉄路が消えました。 ただその今は列車が来ることがなくなって久しい地域、だんだんと鉄道があったこと自体が薄れつつあるような地域に鉄路があった時代、その末期にそれぞれの路線で活躍していたのが若かりし頃のキハ40だったわけです。 当時はドアのガラスにガードの金網がついていたり、タブレットキャッチャーがついていたりしましたが、現在も走り続けているキハ40が若かりし頃、今はもう行くことが出来なくなった地域の景色を見ていたわけです。 数々廃線の現場にも居合わせたことでしょうし、中にはさよなら列車を体験した車両もあることでしょう。 そうした北海道の鉄道網が今よりずっとあって、まだ鉄道に活気があった、北海道にも今よりは活気があった時代を知っているというのがキハ40なのでしょう。 そう考えるとキハ40も結構色々な歴史が詰まっている車両だということになるわけですね。
さて今日の写真ですが、つい先日結局廃線になることが決まった日高本線東町ー日高幌別を行くキハ40の在りし日の姿です。 色んな廃線理由がありましたが、災害復旧せずにそのまま廃線に持ち込んだというのはこの日高線が最初だそうです。 おそらく根室本線の新得ー東鹿越も同じように災害復旧せずに廃線に持ち込む公算でしょう。災害が起きたら復旧に手をつけずに、復旧がどんどん困難になるのを待って時が満ちた時廃線に持ち込む悪しき例を作ってしまったのが日高線ですが、最近の存廃問題は自治体に無理難題を押し付けて廃線ありきでなし崩し的に廃線へ持っていっている、そんな気がしてなりません。もっと言うと、単独では維持できないと判断した路線に災害でもあれば・・・・と望んでいる節でもあるのではないかとすら思ってしまうんですよね。災害が発生すればそれを口実に廃線に持って行くのが簡単ですからね。
どこか首都圏などお金のある大手私鉄や企業が道内の鉄道を買い取って意地管理してもらえないだろうか・・・と思ってしまいます。そのうち道内を公共交通で移動するのが困難になってしまう時代が来るかもしれませんね。 |
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