レカ郎写真記


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...... 2020年05月01日 の日記 ......
■ 農場橋周辺の様子   [ NO. 2020050101-1 ]
先日は北広島市の農場橋旧道についてご紹介しましたが、今日はその続きです。
旧道をまず取り上げたのは今日の話題があってのことだったのですが、まず地図を確認です。



赤線を引いた部分が先日ご紹介した通り旧道です。では新たに登場した青線は?となりますが、こちらは後ほど。

先日は農場橋周辺の旧道をご紹介しましたが、今日は農場橋そのもののご紹介です。
そもそもなぜこの橋を取り上げたかと言えば、今この場所が劇的に変化しようとしているため。
数年前に先日ご紹介した、旧千歳線を利用したサイクリングロードが道路下を通過する際に作られたトンネルが延長されました。ここからプロジェクトがスタートしているようなんですが、最初は何もない所にコンクリートの筒が既存のトンネルに接続する形で付けられました。そのうちその筒の上に土砂がかけられ、筒がトンネルへとなりました。では上では一体何が行われていたのかというのが今日の話題なんですが、まずはその農場橋を。




先日ご紹介した通り、現在の橋はクルマ1台分の幅しかない非常に狭い橋で、信号などもなく、双方の譲り合いでこの橋の通行は成り立っています。ただお互いカーブの出口にこの橋があるのでかなり危険度が高いのです。この橋を自転車や歩きで何度も渡ったことがありますが、その都度「おっかない橋だな」と感じるんですが、重量も14t制限がかけられています。が、明らかに14t以上ありそうなトラックが来たりするんですよね・・・。
この狭い橋が現在架けかえられようとしているんです。先日久々にこの場所に行って驚いたのがこの光景。





これは先ほどの地図のB地点から見たものですが、現道の横に新たな道が作られているではありませんか。私はトンネルが延長された際に道路の拡張工事をするんだろうとは思ってましたが、まさか道路と橋の付け替えとは思いませんでした。

画像の現道側は奥にあるカーブの先に農場橋がある形ですが、新道の方はカーブがあるものの、緩やかなカーになっているのが分かりますね。
また道幅も2車線になっている他、今までなかった歩道まで確保されています。
これにより電柱の位置も変わるので新しい電柱が立てられているほか、既に電線も張られていますね。

今度はA地点から見てみましょう。



こちらの方が急カーブと急勾配の先に農場橋があるので危険度が高いんですが、このように変わろうとしています。新道が直線的なのが分かりますね。ただ接続する現道の位置との関係でこの部分はちょっときつめのカーブにならざるを得ないようです。



これが新しい農場橋です。

クルマ2台分の幅がギリギリで確保され、歩道などなく、歩行者はクルマにおびえながら歩くしかない現道に比べるとかなり高規格になることがわかります。
ただこの道路、農場橋を越えた先、B地点側は終点まで2車線道路になっているんですよね。なのでこれに合わせる形で新しい農場橋が作られたわけですが、現在の段階で、農場橋のA地点側、国道274号までは相変わらずの道路規格なので、橋を超えたら急に道路状態が悪くなるという状況になります。



新旧の農場橋です。新しい方の橋が農場橋を名乗るかはわかりませんけどね。おそらく道路がつけ変わったら、これまでの農場橋は撤去されることになるので、この光景は今だけですね。
ここで先ほどの地図の青線の話題になりますが、このお立ち台、最近は下の木々が生い茂って来て鉄道写真が撮れない場所になってきてしまいましたが、かつてはここで寝台列車などを狙うと上り列車はフルノッチで坂を来るので爆煙状態の機関車を撮ることができた場所です。
この場所が実は旧道の旧道、旧旧道らしいのです。
千歳線が旧線を走っていた時代ここは谷にはなっていませんでした。千歳線の付け替えによってこの切り通しが誕生し、農場橋をかける必要性が出来たわけですが、ここがフラットだった時代は橋など必要な場所ではなく、農場橋が架かる部分も道路ではなく、国道から延びる道路はどうやら現道にある急カーブを曲がって橋の方に向きを変えるのではなく、もう少しゆるいカーブを描いてこの場所を経由して先日ご紹介した旧道へと抜けていたようなんですね。
妙な空間だな〜とは思っていましたが、ここは旧旧道だったという歴史があるようです。

なお赤線の旧道に関しては最新のロードマップにも未だに載っています。

さてこの旧道、今ではサイクリングロードへの出入り口に利用されていますが、現道が旧道落ちしてしまうとサイクリングロードへ出入りできなくなってしまうのでは?と思ったんですが・・・



なんで新道のあんなところに車止めが?と思ったんですが、これが新道に設けられたサイクリングロードへの出入り口のようなんです。手前に急斜面がありますので、この状態では当然使うことはできませんから、これをもっと使いやすい形に整えたうえでということになるのでしょうけど、現在あるサイクリングロードの出入り口の目の前にこの柵がありますので、出入り口の位置は変わらないようです。形としては現道を横切る形でサイクリングロードに出入りすることになるはずですね。

さてこの農場橋のA地点側と言えば、こちらも下り列車の撮影ポイントで、ここの斜面に登って上から俯瞰するように撮ったという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。はまなすやDD51の末期は早朝にも関わらず随分人が集まっていたこともありますが、その斜面がなんと今ではこうなっています。



なんとお立ち台ごと道路に消えてしまいました。
この島のように電柱とともに残っている部分がかつての名残です。ストリートビューでこの場所を確認するとその変化がよく分かりますが、ものすごい量を削り取ったのが分かります。



こちらは新道側からみたお立ち台の残りです。かつて私が立ったことのある場所も消滅していました。とても同じ場所とは思えない状態です。

こういうプロジェクトがあってサイクリングロードのトンネルが延長されていたわけです。

奥に見える鉄板の柵のようなもの、これがもっと手前まで張られていたんですけどね。
工事の標識によるとこの道路は大曲椴山線という名前のようですが、最初は球団のボールパーク関連で市道を拡張したり改良するというないようがありましたので、ボールパーク関連なのかと思ったんですが、よくよく考えるとこの工事が始まった、つまりサイクリングロードのトンネルが延長になったのは、ボールパーク構想や球団の北広島移転が決まるどころか話すら出ていない頃のこと。なので元々ここは球団に関係なく拡張や橋の架け替えを行うことが決まっていたようです。
ただ、おそらくこの道路をアクセス道路とするはずですので、先ほど述べたこの農場橋から国道までの道路が狭い区間はなんとかしなければなりませんね。
そのうち拡幅工事や改良工事が行われるのではないかと思いますが、数年後にはこの場所が劇的に変化しそうな感じがします。

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