昨年10月末に札幌市電のM101が引退したというのは記憶にまだ新しいところですが、その少し前にひっそりと低床車に追い出される形で役目を終えた車両がありました。その1つが210形の213号です。 210形は現在札幌市電最古の形式でM101よりも3年も先輩の車両。今年で64歳になります。 210、220と現役でこれらより新しい230形が全廃しているというのは少し謎ですが、そんな210形にもついにメスが入る時が来てしまったようです。
先日電車事業所内を見たところ、入庫線に213号の姿がありました。が、何か様子がおかしいというか妙に懐かしい感じがするではありませんか。
なんとLED表示機が幕式表示に戻されています。札幌市電で昨年用途廃止となった車両のうちいくつかの車両は売りに出されたのですが、それを報じる記事に年式が出ており、年式から210形だなとは思っていましたが、それが213号だったようです。 売りに出す際使える部品は外しての引き渡しとなるとのことだったので、LED表示機も取り外して幕式にされたのでしょう。 それにどうやら足回りがついていないようで木か何かをかませてあります。譲渡先ではレールの上にいない、つまり台車がない状態で保存ということになるのかもしれませんね。
さてその表示ですがよく見るとなにやら懐かしい・・・
なんと教大経由になっています。現在の中央図書館前はその昔教育大学前、さらに前は学芸大学前でしたが、この教育大が現在のあいの里へ移転して電停の名前が一旦西屯田通に改称されたのが87年のこと。35年の時を経て再びこの表示が復活していました。とはいえ、フォントが当時と違っていますので改めて作ったものの可能性がありますし、表示の具合からしてこの1コマしかないような感じさえします。
詳しい方であればわかると思うのですが、実はこの組み合わせというのは中央図書館前が教育大学前だった頃はありえないんですよね。というのは中央図書館前が教大前だった頃210形はまだ大規模なリニューアルを受ける前の姿。なので大型の通風孔と表示機が一体型になり、さらにヘッドライトがフロントガラス下に2灯並び、さらには現行カラーでのこの表示は現役時代ありえないのです。表示機の大きさも変わっていますので、それで当時と比べると文字が大きくなり、フォントも変わっているのでしょう。 ちなみに私は教大前が経由地の表示は現役当時見たことがありません。
交通局からのプレゼント的なものなのか、それとも買い主の意向でこの表示で仕上げたのかはわかりませんが、ひょっとすると保存、展示となった時系統番号のサボがついた状態かもしれませんね。買い主がサボを持っていた場合ですが。
さてこのほかにも後ろに248号もいました。248号はよく見ていた車両なので「え!?」とちょっと驚きましたがこちらも引退です。さらに後ろにはM101が。こちらもLED表示から幕式に戻されており、表示が電車事業所前になっていました。この表示もあまり普段見ない表示ですね。入庫する場合中央図書館前となりますので。
さらにですが、これら引退した車両が留置されているのは入庫線。これでは入庫する車両が入れませんが、なんと配線が変わっているではありませんか。これまで入庫は外回りを使いこの入庫線を通って裏へ回ってから車庫へ入るという形でしたが、これが改められ、出庫線横を通る形になっており、この旧入庫線はぶっつり本線から切り離されていました。さらに裏側でも工事が行われていて裏でもつながっていないようです。なのでこの旧入庫線は孤立した線ということになっているようなんですね。 これも電車事業所建て替え事業の一環のようで、昨年11月にはもうこのような状態だったとか。M101引退からほどなくしてといったところでしょうか。孤立してしまった旧入庫線は今や引退車両の墓場になっています。さらにササラ電車の雪3号もこの車列に続いていましたのでこちらも廃車のようです。 現在鋼体化した後のブルーム式電車の保存は交通資料館にありませんが、こちらの処遇が気になります。部品だけで見ると100年近いはずですよね。そんな貴重な車両を簡単に捨ててほしくないなと。北海道遺産クラスの車両ではないかと思うんですよね。札幌と函館にしかないササラ電車なわけですし。
車両も電車事業所も大きき変わろうとしている札幌市電、今後続々旧車がA1200形や1100形に古いものはダメだ、低床車じゃないとダメだと存在を全否定されて葬られることになっていくのでしょうけど、私としては電停で待っていてやって来たのがA1200や1100だとちょっとがっかりするのはなぜなんでしょう・・・。
札幌市電と共に苦楽を共にし、市電が今よりずっと市民の足として役立っていた時代、札幌の街並みにあまり背の高い建物がない時代からの生き残りの車両、もう少し価値を見出してみてはどうでしょうかね。函館のハイカラ電車のような特殊なものだけが特別視の対象ではなく、ごく普通と思われるものほど後から価値が出るものですし。 |
|