レカ郎写真記


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...... 2018年09月05日 の日記 ......
■ 旧円山公園電停跡   [ NO. 2018090501-1 ]
札幌市電が今年100周年を迎えましたが、この間札幌市内に大きく広がって行き、そしてオリンピックとそれを機に建設、開業した地下鉄によって追いやられ、縮小という歴史を歩んできました。かつては北区や東区、豊平区といった今では市電とはおおよそ縁のない地域にも路面電車が走っていましたが、当時をしのばせるものは時代とともに薄れつつあります。そんな中先日旧円山公園電停跡を見てみました。

円山公園は現在だと地下鉄東西線の駅しか思いつきませんが、かつては市電の終着点がありました。
円山公園電停は一条線の発着点となっていました。一条線は今も残る路線で、西4丁目ー西15丁目間が一条線となりますが、かつては現在だと西15丁目から福住桑園通りの山鼻西線へ市電は入りますが、かつては南1条通りを直進し医大病院前を経て円山公園へ至っていました。最後は現在の円山バスターミナルい前を通る形で環状線を横断し終点となっていましたが、今回行ってみたのはこの末端の円山公園電停跡です。



これが現在の円山公園電停跡です。道幅が妙に広いちょっと風変わりな道路の状況ですね。おそらくこれは市電があった頃の名残ではないでしょうか。
そして取ってつけたかのように中央分離帯が画像奥に見えますがこれは電停を再利用したもの・・・ではないんです。

一条線円山公園ー医大病院間は電車第三次路線廃止区間で、一条橋ー西4丁目間と共に1973年に廃線となっています。もう半世紀近く前になるんですね。




この分離帯部分が線路だったと言ってもいいかもしれません。
円山公園電停はループ化前の西4丁目やすすきの電停のような感じで、上下のホームが互い違いについている構造でした。
到着した列車は奥のホームで乗客を降ろし、スイッチバック式で渡り線を渡って転線し手前側にあった乗車用のホームで乗客を乗せていたものと思われます。
線路が2本あったのでかなりスペースを取っていたわけですが、そうした流れで今もこの道路は広いまま残っているのでしょう。

路面電車があった時代は真正面に2本の鉄柱があったようですが、車止めなどはなかったようです。

一条線は今も西4丁目ー西15丁目で残っていて現役路線ですし、当時円山公園まで走っていた車両もかなり現存していますが、一方で廃線区間は市電があった頃などどこ吹く風といった状況でほとんど分からなくなってしまっているのがなんとも対照的です。
当時は路面電車の架線の他普通の電線などもありかなりゴチャゴチャした場所でしたが、今は路面電車がなくなり、電線も地中埋設となっているのですっきりした空が広がっています。


現在札幌駅などへ市電を延伸しようという計画があるようですが、札幌中心部には地下鉄が3路線ともあり、地下道もあり、都心はバスも100円で利用できるわけですから、あえてそこに市電を無理に走らせなくてもいいのではないかと思うんですね。やるのであれば、もっと交通の便が悪い地域にこそあるべきではないかと思うんです。
建設費を抑えたいのであれば、路面気動車式という方法もないわけではないですからね。定山渓鉄道の代わりに定山渓方面へ電車事業所前から分岐するなり、短く抑えるなら真駒内駅から路面ディーゼルカーでも走らせればかなり簾舞や藤野、定山渓方面が便利になるように思うのですが・・・。
取られる税金は同じなのに公共投資には温度差があるというのも不公平ですからね。

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