先日名寄に静態保存されているキマロキ編成をご紹介しましたが、今日はもう少し詳しく。 全ての車両を個別に撮って来たわけではないのでおおざっぱになりますが、先日ご紹介した写真から少しアングルを変えたものをまず。
先日ご紹介したものは走行写真のように見えるようなアングルでしたが、今日のカットはすぐそばにある腕木式信号機を入れてのもの。ここはキマロキ編成だけが展示されているわけではありません。腕木式信号など他のものもちょこちょこと置かれています。 今思うと今回はデジタルのみで撮影していたんですが、1枚くらいフィルムの方でも撮っておけばよかったかな〜と。
変わってこちらは後方についているD51 398号です。 キマロキのうちの最後の「キ」に当たる車両となります。 このD51は1940年製造のカマで岩見沢に新製配備された道内のみで活躍したカマです。名寄には末期に転属しているようなので、実際にはキマロキには使われていないようです。 このカマを含めてなんですが、ここの車両の区名札、入っているように見えるんですが、車体に直接それっぽい自体で書かれているのが印象的でした。
D51の内部です。 ここの車両は何と言ってもSLだけでなく他の車両もキャブ内に入ることができるという点。静態保存されている車両の多くはキャブ内に入ることが出来なくなっているものが多いですが、ここは内部に入ることができる他、きちんとメンテナンスもされているというのが素晴らしい点です。その証拠に手に油が・・・。さび止めの処置がきちんとされている証拠ですね。 水面系やメーター類はガラスが割られてしまうことが多い中、ここのSLはしっかり健在なのがうれしい点です。
屋外展示ながらメンテナンスさえすれば動態に戻せるほどのクオリティではないかと感じました。
こちらは最後尾です。最後尾にはヨがついています。 この緩急車は1954年製なのでこの中では一番新しい車両です。 この車両のみ個人が寄贈したもののようですが、実際にキマロキにもこのような緩急車がつく場合もあったとか。まあ言うならばキマロキヨって感じでしょうかね。
面白いことに狙ってか偶然かはわかりませんが、この編成は前のキューロクは大正生まれながら、次位のマックレーから昭和13年、昭和14年、昭和15年製と製造年が連続するような並びで置かれています。
ところでこのキマロキ、D51もキューロクと同じ方向を向いていますが、逆向きじゃなくてよかったのでしょうか?実際のキマロキもこのようにSLが2機とも同じ方向を向いていたのでしょうかね? 逆向きならプッシュプル運行ができるので入れ替えなどの必要はないはずですが、この形だとC11など小型のカマならバック運行は可能ながら、大型のD51ですからバック運行が出来たんだろうか?と。 まあそれから考えたら後ろ向きでカマがついた場合どちらかのカマがぶら下がるだけの存在になってしまいかねませんから、両方とも前を向いて作業を行い、入れ替えや方向転換を経て帰って行ったんだろうか?とも思えるんですがね。 このカマの向きはなかなか興味深いものがあります。
最後にこんなものを
キマロキ編成の傍らに天塩弥生駅の駅名看板が保存されています。でもこの場所は元名寄本線の廃線跡ですし、キマロキも名寄本線で活躍したもの。でもこの天塩弥生は深名線の駅なんですよね。 しまった〜と思ったのはこの駅名看板、裏があって裏面は西名寄の駅名看板なんだとか。これは見忘れていました。 でもいずれにしても深名線の駅ですね。
展示してあるキマロキは国鉄時代に終わりを迎えていますが、この深名線の駅名看板は見ての通りJRになってからのもの。このコラボもなかなか面白いものですが、これって本物?とも思ってしまうんですよね。こんな貴重なものを無防備に出してあるというのははたしてありなのかと。現役の駅でも廃線前となると色々なものが残念ながら盗難されてりまうことも少なくないですから、当然この駅名看板も本物であれば盗難の危険があるはずですが大丈夫なものなのでしょうか?
このキマロキ、SL最後の年となった75年前後にそれぞれ退役を迎えているようなんですが、この地で展示され始めたのが76年からとのこと。前年まで現役だった車両だったわけですね。 また当時はまだ名寄本線が現役だった時代ですので、このキマロキは名寄本線や深名線の廃止という節目を見てきたことにもなるわけです。 今宗谷本線、特に名寄より北の宗谷北線が存続の危機に立たされていますが、このキマロキにはどのようにその現状が写っていることでしょうか。 |
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