札沼線非電化区間廃止まで2ヶ月を切りました。そろそろ葬式鉄であふれてくるころではないかと思うのですが、先月非電化区間最後の冬を迎えた石狩月形へ行ってみました。
石狩月形駅前の光景です。行く前にふと思ったので撮ったカットなんですが、駅前にこうしてバスがいるという光景も廃線後はどうなるのかわかりません。駅がなくなればバスがここまで来る必要がなくなりますから、月形駅前が発着点ではなく、月形役場前とかその辺りに路線が短縮されてしまい、ここまで来なくなるかもしれません。またここまで来たとしても駅が解体されたりすればずっと続いてきたこの駅舎とバスの組み合わせも見られなくなる光景です。そう思って撮ったカットなのですが、廃線後駅舎はどうなるのか、バス路線はどうなるのかというのが気になります。
駅舎は壊さず再利用されるといいんですけどね。せっかく道内最後のスタフ交換を行っている駅なわけですから、鉄道資料館のような感じで活用してもらえないかなと思うんですがね。
かつては廃線の駅を使って鉄道資料館的なものがよく設けられましたが、ここのところ廃線になっている区間ではそうした動きがないんですよね。
駅舎がなくなるとおそらくこの光景も見られなくなるだろうと思って撮ったカットです。 これが石狩月形の駅前通りとなるのでしょうか。道路の突き当たりに駅があるというこの光景も駅舎が解体でもされたら過去のものになってしまいます。鉄道がなくなればこの駅前通り沿いの商店などもどうなるかわかりませんからね。
次は駅舎の中で撮ったものですが、面白いものを見つけたのでそれを入れてのカットです。
何箇所かに既にありがとう札沼線の旗が出ているんですが、それとともに左側に入れたのがクリスタルエクスプレスの広告。 クリスタルと言えば昨年9月に引退していますが、駅舎の中にはまだ「いつからあるやつだ?」と思うような広告が残っていました。 編成全体は写っていないんですが、3両目の車両がダブルデッカーではないようなので、クリスタルが3両編成だった時代の写真のようです。クリスタルの若かりし頃の写真というわけですね。 そうなるとこの広告はクリスタルがデビューした当初に作られたものということになりますので、30年近く前からここに張り出されているということになるわけですね。ここだけ時が止まっているかのような感じでしたが、駅の廃止と共にこれもついに失われてしまうことになるのでしょう。クリスタルが失われ、そして駅自体も失われようとしているわけです。 それにしても思わぬお宝にちょっと驚いてしまいました。
ちなみに広告には千歳空港と書いてあります。もしかして新千歳空港になる以前のものということになるのでしょうかね。
もう1つ面白い発見です。 駅のホーム側で「いしかりつきがた」の駅名看板がつけてある鉄柱をなんとなく見ると、駅舎の鉄柱にレールが使われているではありませんか。レールの背中あわせにして1本の鉄骨としてあるのですが、年号が刻印されていました。ただその年号を失念してしまったんですが、1936年とか書いてあったような気がします。
昔の駅舎って結構古くなったレールを建材として再利用して駅舎を建てていたりするのでこういう発見があるとまずそのレールの年号をついつい探してしまいます。このレールがレールとして使われていた時、どこのレールで使われていたのでしょう。
駅構内に夏場にはいなかったハイモがいました。ただこちらは両方ラッセルでロータリーがついていません。 ハイモとしても撮りたいものの1つではありますが、月形樺戸博物館をバックにハイモを撮れるのもこの冬が最後ということで、あえて建物をバックに入れてみました。 全てが月形町の町並みと撮る最後の冬です。1年後、駅舎などは残っていたとしても車両などがここにいることはありませんからね。
GWの終わりとともに終焉を迎える札沼線非電化区間、着々とJRが思い描く理想の形になりつつあるなと思うのですが、バス転換になるからいいやでは済まされない事態になって来ています。そのバスのなり手不足で既存の路線すら危うい状態ですから、バス転換した路線に回す人材が確保できない状態です。新たに新規参入という形も考えているようですが、あまり妙なところに任せてしまうと今度は公共交通としての安全性に疑問符がつくことも考えられます。 よく公共交通機関を利用しましょうみたいなフレーズを見聞きしますが、その行政側が公共交通機関というのをどのように捉えているのかと思ってしまうんですよね。まあ国が責任を持って国民の足を確保しなくなった時点で公共性は失われてきたのかもしれませんが。
廃線まで2ヶ月弱、もう1回くらい月形までは行ってみたいなと思っているんですが、はたして実現出来るかどうか・・・。 |
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