
札沼線北海道医療大学ー新十津川が今日をもって正式に廃止となります。しかし最終日に列車が走ることはもうありませんでした。 先月17日の新十津川発列車をもって列車の最終運行が終わり、以後今日まで運休という形を続けてきたためで、この間廃止ではなくあくまで運休措置だったので、線路設備が生きていたようですが、明日からはそれもなくなります。 最終列車を見ることができなかった人たちの中にはこのGW期間中最後の姿を見に行ったという方も少なくないのではないでしょうか。
何んとも歯切れの悪い最後になってしまい、長らく続いた札沼線非電化区間の最後がこれでいいのかという感じすらしますが、ほんとに今日で終わりです。 わけのわからない伝染病さえ持ち込まれず、流行っていなければ、盛大なお見送りも出来たことでしょう。 こんな理由でしっかりとした形で最期を飾れなかった札沼線が不憫でなりません。
思えばこの区間の歴史というのは歴史の翻弄されてきましたね。戦時中は不要不急路線に指定され、線路は樺太へ送られ、路盤は道路へ転用されました。そのまま廃線になってしまう不要不急路線もありましたが、札沼線は地元の復元運動により、1956年に全線で運行再開になりましたが、13年間の空白の時があったため、鉄道離れが進んだとも言われています。
ただ72年6月に赤字83線の最後の路線として新十津川ー石狩沼田が廃止され、この時残る区間の桑園ー新十津川間をこの先将来にわたって維持するという自民党代議士や地元自治体の首長、国鉄北海道総局と覚書を交わしたようですが、結局さらに北海道医療大学ー新十津川が今日をもって廃止、残る区間は桑園ー北海道医療大学だけという結果になってしまいました。
最後は鉄道史上初の感染症蔓延が理由で廃止日まで日数を残して運行休止となる事態となり、歴史に翻弄されてきた札沼線非電化区間は最後まで歴史に翻弄され消えてゆきました。
それにしても札沼線は道内のどの線区よりも個性的な路線ですね。 走っていた車両を見ても、キハ46、キハ53−500番台、キハ48ー300番台、1330番台、キハ40−400番台、330番台、PDCのキハ141系、キハ201系と、電化まではちょっと他ではあまり見られない個性的な気動車が運行してきました。
また設備も桑園ー新琴似間が高架化されたものの、複線、非電化という全国でも珍しいスタイルでした。非電化の時代は今にも電車が来そうな感じのするホームだったものです。
最初は地上線で単線でしたし、高架になってもすぐには本数が増えず、複線化事業が完了したことで1時間に1、2本だったダイヤが大幅に増えて現在の形になりましたが、それまでは札幌圏にありながら不便な路線でもありました。 今もなお桑園ー八軒では単線区間を抱えるため、なかなか列車の増発が難しい状況にあります。
また沿線も札幌都心を出ると住宅地、学園都市、石狩川を渡ると田園地帯と短い区間で様変わりするのも札沼線です。
また北海道医療大学までは電化までされ、電車が走るようになった半面、道医療大学ー新十津川は突然非電化単線という典型的な道内のローカル路線そのものという姿に変わるのも札沼線の魅力でしたが、明日からはその魅力もなくなります。
依然盲腸線ではありますが、残る区間は学園都市や住宅地を抱えるため、もうこれ以上削られることはないのではないかと思うんですがね。
さて札沼線非電化区間の次はどこに白羽の矢が立つことでしょう。根室本線富良野ー新得、日高本線、鵡川ー様似は確定でしょうね。いったい道内の地方路線がいくつ新幹線の犠牲になれば済むのでしょうか。 |
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