先日夕張川鉄橋での記事の際に述べた気づいた驚きの事実、それを今日はご紹介です。
まずはこちらを。
これは夕張川鉄橋から見て下流側にある夕張川沿いの道。遠くにあるのが美原大橋でまもなく夕張川が石狩川に合流しようとしている地点です。
この夕張川、石勝線と室蘭本線と函館本線を経てここに至っているんですよね。かなり遠回りして長い旅をしているわけです。
問題はその川沿いのこの道。この写真は美原大橋を撮るとどんな感じになるんだろうかと思って、列車を撮る合間にブラブラっと行ってみた時に撮ったサンプル写真だったりするんですが、まさかこんな形で陽の目を見ることになるとは思いませんでした。
というのは注目すべきはその道。歩いていて随分広い道路がついているな〜と思っていたんです。クルマ同士がすれ違えるほどでしょうか。こんな広い道路が川沿いの土手についているというのはあまり見たことがありません。
ということで、帰ってからなんとなく思い出して空中写真を見てみたところ、なんとこの道路が元々国道12号線だったらしいのです。 空中写真によると1971年のものでは現在の12号線はまだ建設中でそれ以前の写真では全く道路がなく畑になっており、代わりにこの川沿いの道がずっとついています。76年には既に現在の道路が開通しておりクルマの姿も見受けられますが、橋は片側1車線で現在と様子がことなっています。ただ橋の位置はほぼそのままです。 どうやら現在の橋は平成に入ってから今のような姿になっているらしいのです。
地図で表すとこんな感じです。
赤線で書いた部分が旧道と思わしき部分。現在の国道337号との交差地点から現在の道路は旧道から分岐する形で作られたようです。
では橋の位置は変わっていないのに橋へはどのように入っていたのかと言うと、どうやら90度カーブがあったようなのです。今ではちょっと考えられない道路の構造ですが当時の企画ではOKだったんでしょう。 ほぼ直角に曲がって橋へ出入りしていたようなのです。なのでかなり危険な個所だったのでしょうね。それで道路の改良工事が行われたのでしょう。 ただ85年の段階でも12号線は片側1車線だったようです。 ではいつ頃片側2車線になったかはちょっと不明です。この地点、平成に入ってからの空中写真が少ないので追うことができないのです。
おそらく平成の初めころに橋が片側2車線化されているようなので、そのタイミングで改良工事が行われた可能性があります。
というわけで、この川沿いの道がやけに広い理由に納得してしまったわけです。
それにしてもやはりこうした大規模な道路の付け替えや旧道の誕生というのは60年代末期から70年代初期が多いですね。高度経済成長期でモータリゼーションが進み始めた時代というのもありますが、なんと言っても北海道の場合札幌五輪が72年にありましたので、札幌五輪をきっかけに道路の改良工事などがすすめられた経緯が随分あるようなので、この12号線の付け替えというのも札幌五輪を意識してのものなのでしょう。 他にも国道36号線が札幌市内でつけ変わったのもこの辺り、国道230号線の改良工事もこの辺りなので、はやり五輪がらみでの改良ということになるんでしょうね。 この札幌五輪前後が現在の札幌や北海道の姿のベースを作った時代と言えるのかもしれません。
ところで夕張川鉄橋はずっと変わっていないようですし、先日見た時にも橋脚が随分古い作りだな〜と思ったのですが、現在の橋はいつごろ架けられたものなのでしょう。まさか函館本線が出来た頃からずっと変わっていないということはないでしょうけど、場所も特に動いた様子はないですし。そのうち行く機会があったら、ちょっとこの鉄橋の製造年を知る手がかりになるものがないか探してみたいと思います。 |
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