レカ郎写真記


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...... 2021年03月29日 の日記 ......
■ 日高本線の思い出   [ NO. 2021032901-1 ]


今週ついに日高本線の鵡川ー様似が廃止となります。ということで日高本線の思い出として取り上げてみたんですが、正直さほど思い出はありません。何度も行ったことがなかったんです。なので日高線カラーのキハ40も日高線より夕張支線で撮った回数の方が多かったりして・・・。

ということで今日はそんな数少ない写真から1枚選んでみました。

撮影はちょうど長期休止となる前の年。この時初めて本腰を入れて撮影しました。と言っても半日ですが。
日高線にはなにやら面白そうな場所があるというのを知り、行きたいなと思っていたんですが、チャンスが巡って来たのがこの時だったわけです。

日高線は北海道の風景を凝縮したような場所だと思っているんですが、ただこういう場所は他にないなという場所。海との距離感がこれほどというところは北海道にはまずないでしょうし、全国的にもちょっとないかもしれません。場所は日高幌別ー東町間。あらかじめわかっていたものの、実際現場を見て改めて衝撃を受けました。
ほぼ海岸を走っています。ちょっと離れた場所では枕木が砂に埋もれてしまっていてまるで砂浜に直接線路が敷いてあってそこを列車が走っているかのような状況なのです。
こういう場所はなかなかないでしょうね。しかも線路を囲む柵などもありません。そんなウソのようなホントの場所、列車が来ないとほんとに現役の線路なのかと思うほどです。そしてここをかつてはニセコエクスプレスなどが優駿浪漫号で走ったりしていたんだなと思うと、不思議な気持ちになりました。
こういう場所も本州からの観光客には受けがよかったはずですね。

他にも日高幌別ー東町を歩きとおしつつ何か所かで撮っているんですが、日高線ってこんなに撮りごたえのある場所だたんだなと思い、また撮影に泊りがけで来てじっくり撮ろうと思ったんですが、翌年の冬に災害が発生しそこから長期運休へ。災害復旧する様子もなく時間だけが流れていき、結局なし崩し的にさよなら列車が走ることもなく廃線ということになってしまいました。まだまだ撮りたい場所、行ってみたい場所があったにも関わらず、その思いはあっけなく崩れ去りました。

これが国鉄時代だったら災害を食らったまま放置して廃線にはしていなかったのではないでしょうか。またこれは私の勝手な考えですが、新幹線を北海道に持ってきていなければ、もしかすると災害復旧したかもしれません。
日高線はどこともつながっていない盲腸線というのもあるのでしょうね。
そうなると花咲線、宗谷線なども危ないことになってしまいますし、現在廃線が持ち上がっている留萌本線もということになります。

現在もう1か所東鹿越ー新得が災害で長期運休中になっていますが、こちらも災害復旧しないまま放置して熟したところで廃線議論を過熱させて廃線へ持ち込むのではないかと見ているんですが、鉄道はつながっていてナンボだと思うんですね。しかも根室線の災害箇所はさほど長い距離ではないようです。

災害が起きる度に災害復旧しないで廃線とするならば、維持困難な路線とされている路線は災害が致命傷になりかねません。いつ廃線になるのかわからないということになってしまいます。

鉄道の廃止というのはその地域から鉄道を生かした色々な可能性を奪われることになってしまいます。日高線がまさにそうですね。あれほど風光明媚な路線にも関わらず、日高線がもつ可能性が生かされることなくなし崩し的に廃線になってしまうわけですから。

単純に地元の足というわけでなく、鉄道の持つ可能性を知り、それが奪われることへの危機感をもう少し道民1人1人が持つべきなのかもしれませんね。生かすも殺すも道民なのでしょうし。

それにしても日高線での撮影はぜひまたやりたかったものです。
今後は残る鵡川までの区間でなんとか日高線らしさを出しつつ撮るしかないのでしょうね。でも日高線で一番いいところが奪われてしまうんですよね・・・。

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