レカ郎写真記


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...... 2022年07月22日 の日記 ......
■ 懐かしのいすゞBU20   [ NO. 2022072201-1 ]

春頃に撮ったもののすっかり忘れていたものがあったので今日はそちらをご紹介です。

いすゞBU20と言えば高度経済成長期に開発され活躍したいすゞのバスですが、今ではほとんど生き残っているものがありません。そんな中わずかながらに生き残っているものがあるんです。とはいえ廃バスで動ける状態ではありませんが、今となってはそんな車両でも貴重な1台。
モノコック車は大型4メーカーからいろんなもの、そしていろんな車体とシャーシの組み合わせがありましたが、そんな中でも私個人としてはこのいすゞBUが一番印象深く、よく乗りましたし、好きな車両でした。あの独特のエンジンやトルコンの渋い音はその後のキュービックにも引き継がれていたように思いますが、今では懐かしい思い出の車両になってしまいました。

そのいすゞBU20というのがこちら



います、懐かしいシルエットです。この姿を見たのは30年ぶりくらいだったでしょうか。
これらモノコック車が走っていた頃まだ写真を撮っていませんでしたので、モノコック車って1枚も写真がなかったんですよね。



この車両は北海道中央バスのBU20なんですが、公式側とフロントはこの有様。非公式側とは対照的でガタガタですし、フロントガラスがありません。まさに「ワヤ」な状態になっています。
もしも復元して走らせるなんてことになってもこの車両では可能なんでしょうかね。ここまでガタガタなら無理な感じですが。

中央バスにおけるいすゞ車のモノコックは大きく分けて行先表示と系統番号が別窓になっているBU20とその後に導入された行先と系統番号が1つの枠になり大型化されたC系のCJM550での導入になりますが、こちらは方向幕部分が2つありますのでBU20となりますね。
81年頃にC系の導入へとチェンジしてますのでそれ以前のクルマとなりますが、C系は80年に生産開始されたものの4年間しか結局生産されずにキュービックへモデルチェンジしてますので、結構希少な車種ということになるんですよね。
私としてはBU20以上に慣れ親しんだのがC系でした。ただスタイルはBU20の方が好きでしたけどね。若干地上高が低かったように思うんですが、ちょっと低く構えたようなスタイルがいいなと思ってました。

また中央バスではこの当時、そしてこの後もしばらく続く特徴として側面方向幕が中ドアの上にボコっと飛び出すようについていました。
C系では電動化されていたようなされていなかったような・・・と記憶があいまいですが、BU20では紛れもなく表示の切り替えは手動式で運転手さんがハンドルをグルグル回してセットしていたのをよく覚えています。それが今ではLEDですからね・・・。モーターすらありませんもの。
どうやらこの車両は漁師さんの物置として使われているようです。
昔はよくあったんですよね。廃車になったバスを物置として使うというのが。
今はそんなことまずないですね。確実にスクラップにしてしまうか海外に輸出かですし。そんな中たま〜にあるスケルトンボディの物置バスはほんとに貴重だと感じます。





リアです。
この姿がなんとも懐かしい。左側は完全に、右側も一部ポロリしてしまっていますが、中央バスのモノコック車と言えばこのテールランプですよ。3連テールでウィンカーがシーケンシャルフラッシャーライトになっていて、かつ所謂出目金と呼ばれる飛び出したスタイルのテールライトです。
最近乗用車でこのシーケンシャルフラッシャーライトを搭載しているものがありますが、フロントまでシーケンシャルフラッシャーだと「違うんだよな〜」なんて思っちゃうんですよね。というか個人的にはフロントのシーケンシャルはダサイと感じます。



いすゞエンブレムが生き残っていました。このマークとロゴももう見ないですね。
それに当時車体メーカーが川重車体でしたからね。今ではもう死語の連続です。




車内には当然入れませんが、ふと目をやると懐かしい1品が。
そうそう、BU20の降車ボタンはこれです。自発光式ではなく、ボタンが本体の下についているというやつですね。押すと「チ〜ン」となるアレです。
なんかこれ、廃品の販売で昔買ったような気もするんですがどうだったかな〜と。
最後に現役のこのボタンを見たのは20年以上前くしろバスに乗った時でした。

ちなみにC系になってからは「チーン」という音は同じでしたが、自発光式の降車ボタンに変わっていました。

残念ながらこのクルマの身元を特定に至るものがなにもなかったので、ナンバーが何だったのかはわかりませんでしたが、最新のBU20でも製造から40年以上ですから、半世紀近く前のクルマということになります。当時は10年ちょっとがバスの寿命でしたので、廃車になってからの方がもうずっと長いということになるのでしょうね。
日野RCの方はどうやら中央バスで動態保存しているようですが、個人的にはBU20もほしかったな〜と。

この廃車体がある辺りには他にもたくさんの廃バスがかつてあったようですが、近年相次いで撤去されてしまったようで見ることができませんでした。
今年の豪雪でつぶれた車両も多かったようですが、この車両だけは豪雪も乗り越えて何とか生き残っていてくれましたが、いつまでこの姿を見ることができるのでしょうかね。

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