少し前ですが、札沼線の廃線区間の方へ行く機会があったので、ちょっと様子を見てみました。 その場所は浦臼神社前。
廃線後初めて行きましたが、これだけ見るとどこが廃線跡なの?という感じになってますね。右端にピンクのリボンがついた棒が立ってますね。おそらくそこに踏切の設備などがあったはずです。そしてその少し先で砂利道が横切ってますよね。これが線路跡です。 ここは札沼線内の珍しいポイントの1つで神社の境内を列車が横切るという場所でした。奥の階段が神社へとつながる階段です。神社へは階段以外道がないのでクルマでは行けず、階段を登らないと行けないようです。本殿以外の社務所などは階段下の国道沿いにあるというちょっと変わった構造です。
こうしてみるともう鉄道施設は一切ありませんね。踏切を渡った先に踏切を制御する機械類もあったんですが何もなくなっています。ただ機械に隠されて見えなかった擁壁が見えるようになりました。ちょっと後悔しているのがこの擁壁に接近して製造年などがないか見てこなかったこと。写真だと神社の階段から右側には擁壁がないので。左側が崩れやすいとか崩れる恐れがあったのでしょうね。
では線路跡地を見てみましょう
まずは新十津川方向を見たものです。 レールは撤去済みで草が生えていない平場が延びているというだけです。気のせいかクルマの轍があるような・・・。 だんだんと左右から草木が伸びて来ているので数年もすれば線路跡だとわかりにくくなりそうです。
札幌方向を見たものです。 こっちは森がなくなる位置なので新十津川方向よりは線路跡がこの先も残ってくれそうな感じがします。でももうここに線路があったとは思えないような状況ですね。まあ廃線から早いもので4年ですからねぇ〜。
余談ですがいつも思うのですが、こうした地方交線によく見られるもので、線路のバラストがどうみても運んできて散布したというものに見えないんですよね。まるでそこら辺の川から拾ってきて敷き詰めたかのような角が取れて丸くなった石なんです。現役の路線廃線関係なく、こうしたバラストが見られるのですがこうした場所のバラストというのはどこから持って来て敷き詰めたものなのでしょう。また毎年春になると保線作業で必要な個所にバラストを撒いたりしてメンテナンスしていますが、こうした路線にはいかにも採石場から持って来たという角がある砂利が見らないということから、長らくバラストの入れ直しが行われていないのでは?と思うんですよね。 この札沼線も同様で採石場で産出した砂利ではなく、河原から採石した石というものばかり。仮に線路建設時にそうしたバラストを用いていたとしても定期的にバラストの入れ直しをしていれば丸みを帯びた石は新しいバラストの下になるので見えなくなるはず。ということはこうした路線はバラストの入れ直しなどのメンテナンスが行われてこなかったということになるのでしょうかね?
私が思うに、バラストを運んでくるのも大変なので、こうした地方の路線は現地でバラストを採取して使ったのではないか?と思うのですがどんなものでしょう。
まあ角がとんがっているバラストが敷いてあるところはコンクリート製のPCマクラギが使われているような路線なのに対し、河原の石のようなバラストが使われているところは木で出来たまさにマクラギというものが使われているような路線ですからね。この辺の違いもありそうです。 |
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